私たちの住む現実と、薄皮一枚隔てた場所に存在する「もう一つの世界」。
SF映画や小説の中だけの話だと思っていませんか?
量子力学の世界では「多世界解釈」として議論されるパラレルワールド(並行世界)ですが、ごく稀に、その境界線を越えてしまったという報告が存在します。
今回は、ある男性が体験した**「4ヶ月間の神隠し」**にまつわる話を検証します。彼が足を踏み入れたのは、景色は同じなのに、論理が通用しない狂気の世界でした。
序章:回字型のマンションと「魔の中庭」
事の発端は、今から数年前。大学を卒業し、就職を機に京都府内の某マンションへ引っ越した男性、Kさん(仮名・22歳)の体験から始まります。
Kさんが選んだ物件は、少し変わった構造をしていました。
上空から見ると**「回」の字型**をしており、建物の中央部分が空洞の「中庭」になっているのです。
閉ざされた空間
通常、マンションの中庭といえば植栽があったり、ベンチがあったりと憩いの場であるはずです。しかし、このマンションの中庭は異様でした。
地面は無機質なコンクリートで覆われ、四方を高い壁(マンションの居住部分)に囲まれています。そして不可解なことに、この中庭に出入りできるのはKさんが住む1階の角部屋のみ。他の住人は中庭の存在を見ることはできても、足を踏み入れることはできません。
まるで、Kさんの部屋が「中庭の看守」であるかのような設計でした。
身体への異常反応
引っ越し当初から、Kさんはその中庭に生理的な嫌悪感を抱いていました。
窓を開けて換気をしようとするだけで、三半規管がおかしくなるような目眩(めまい)を感じるのです。
- 5月: 小さな羽虫が湧いたため、殺虫剤を撒きに中庭へ出る。→ 強烈な立ちくらみに襲われる。殺虫剤の成分のせいだと思い込む。
- 6月: 溜まった落ち葉を掃除するために中庭へ。→ 空間が歪むような感覚。部屋に戻ると即座に回復する。
管理会社に問い合わせて排水溝や磁場を調べてもらいましたが、結果は「異常なし」。立ち会った業者はピンピンしており、Kさんだけがその空間に拒絶されている、あるいは「取り込まれそうになっている」ようでした。
第1章:境界線が崩壊した日
季節は巡り、10月。
秋晴れの気持ちの良い日でした。Kさんは久しぶりに中庭の掃除を決意します。体調は万全。暑くもなく、空気も乾燥している。
しかし、それが間違いでした。
ほうきとちりとりを手に、サッシを開けて中庭に足を踏み出した瞬間です。
過去数回とは比較にならない、脳を直接揺さぶられるような強烈な回転感覚が彼を襲いました。
「うっ……」
立っていられず、その場に膝をつくKさん。
逃げなければ。本能的にそう感じた彼は、這うようにして自室へ戻ろうとしました。しかし、中庭と部屋を隔てるドアノブに手をかけ、扉を閉めたその瞬間――。
バチンッ!!
視界が真っ赤に、いや、赤黒く染まりました。
まるでテレビの電源を強制的に切ったときのように、世界がブラックアウトしたのです。意識が途切れたのは、おそらくコンマ数秒。
Kさんが次に目を開けたとき、彼はまだ部屋の中に立っていました。
「なんだ……貧血か?」
目眩は嘘のように消えていました。彼は掃除を諦め、水を飲むためにキッチンへ向かいます。
キッチンにある小窓から、ふと空を見上げました。
そこに広がっていたのは、見慣れた秋の空ではありませんでした。
「色が、違う」
それは絵の具のチューブから出したままのような、毒々しいほどに濃いコバルトブルー。そして、空が恐ろしく高い。
さらに鼻をついたのは、これまで嗅いだことのない奇妙な臭気でした。プラスチックが焦げたような、あるいは金属が酸化したような、形容しがたい「異質の空気」が部屋を満たし始めていました。
第2章:崩壊するゲシュタルト
「今日は妙な天気だな」
Kさんは無理やり自分を納得させ、気分転換に近所のコンビニへ出かけることにしました。
マンションの廊下を歩き、エントランスを出ます。すれ違う住人はいません。
異変が決定的になったのは、マンションを出てすぐの交差点でした。
記号化された日本語
ふと、通り沿いの花屋の看板が目に入りました。
普段なら「フラワーショップ〇〇」と書かれているはずの看板。しかし、そこにあったのは理解不能な文字列でした。
『ア活めるゆフィ柿のさと』
Kさんは目を疑いました。文字自体は知っている「ひらがな」や「漢字」です。しかし、並びが滅茶苦茶で意味を成していません。
看板だけではありません。選挙ポスター、自動販売機の注意書き、道路標識。
視界に入るすべての文字が、**「日本語のパーツを使った無意味な羅列」**に置き換わっていたのです。
恐怖を感じたKさんは、急いでなじみのコンビニへ駆け込みました。
「いらっしゃいませ」
その声を聞けば安心できると思ったからです。
自動ドアが開き、レジにいた店員がこちらを向いて口を開きました。
「アヨガナマーリッサー」
Kさんの背筋が凍りつきました。
店員は笑顔です。しかし、発した言葉は地球上のどの言語とも思えない、不気味な響きを持っていました。
本棚の雑誌を見ても、表紙は奇怪な文字の嵐。食品のパッケージも同様。
Kさんは震える手でポケットから携帯電話を取り出しました。
画面の表示は……「圏外」。
しかし、メニュー画面や保存してあったメールの文字は、正常な日本語のままでした。
「俺のスマホだけが、元の世界と繋がっている?」
唯一の命綱を握りしめ、Kさんはコンビニを飛び出しました。
第3章:隔離、そして「観察対象」へ
「頭を打って、脳がおかしくなったんだ」
そう信じたかったKさんは、錯乱しながらも近所の総合病院へ駆け込みました。
しかし、受付の女性も、診察室の医師も、誰一人として言葉が通じません。彼らがKさんにかける言葉はすべて「うにゃうにゃ」とした雑音にしか聞こえず、逆にKさんが「助けてください!頭が痛いんです!」と叫んでも、彼らは困惑した顔を見合わせるだけ。
言葉が、通じない。
同じ人間のはずなのに、意思の疎通が一切できない。それは孤独よりも深い、根源的な恐怖でした。
やがて、通報を受けたであろう警察官(のような制服を着た男たち)が到着しました。
彼らはKさんをパトカーに乗せましたが、手錠をかけるような威圧的な態度はなく、むしろ「迷子の子供」あるいは「希少動物」を扱うような、奇妙に丁重な扱いでした。
連れて行かれたのは警察署ではなく、窓のない真っ白な部屋――研究施設のような場所でした。
筆談の試み
部屋には監視カメラが4つ。Kさんはそこで、スーツを着た男たちによる尋問を受けます。
もちろん言葉は通じません。そこでKさんは、携帯電話のメール作成画面に**「言葉がわかりません」**と打ち込み、彼らに見せました。
それを見た瞬間、男たちの顔色が変わり、室内がざわめきました。
彼らは紙とペンを持ってきました。
スーツの男が、紙に文字を書きます。
『ウヨメがわかりません』
男は「言葉」という単語を指差しながら、ゆっくりと発音しました。
「ウ、ヨ、メ」
Kさんは愕然としました。こちらの世界では、「言葉(ことば)」という漢字を「ウヨメ」と読むのです。文字の形は同じでも、読みと意味の概念がズレている。
Kさんが「あ」と書けば、彼らも「あ」と発音する。しかし単語になった途端、すべてが乖離する。
これは単なる外国ではない。概念そのものが書き換わった世界なのだと、Kさんは理解しました。
第4章:謎の「ゲラゲラ医者」
隔離生活は過酷でした。
窓のない部屋。定期的に壁の隠し扉から現れる看護師。食事はパンやサラダのような形をしていますが、味は砂のようで飲み込めません。
何よりKさんを苦しめたのは、原因不明の激しい頭痛と、時折襲ってくるフラッシュバックでした。目を開けているのに、全く知らない場所の風景――見たこともない大学、知らない家族との団欒――が脳内に直接投影されるのです。
そんなある日、5人の医師団が部屋を訪れました。
彼らはタブレット端末をKさんに見せ、反応を伺いました。
画面に映し出されるのは、この世界の風景や人物。Kさんが無反応でいると、医師たちは議論を始めます。
その中に一人、異質な男がいました。
ボサボサの髪に白衣を着たその男は、深刻な顔で議論する他の医師を尻目に、終始ニヤニヤと薄ら笑いを浮かべていました。
他の医師が諦めかけた時、その「ニヤニヤ医者」が自分のタブレットを取り出し、ある画像を見せました。
それは、Kさんが住んでいたあのマンションの中庭の写真でした。
「あ……!」
数週間ぶりに見る「元の世界との繋がり」に、Kさんは思わず声を上げ、画面に手を伸ばしました。
その瞬間です。
「ゲラゲラゲラゲラゲラ!!!」
ニヤニヤ医者が、狂ったように笑い出したのです。腹を抱え、涙を流し、Kさんを指差して哄笑する医者。
「ヒーッ!ヒッヒッヒ!」
あまりの異常さに、警備員が医者を取り押さえ、部屋から引きずり出していきました。
しかし、Kさんは見ていました。
去り際、その医者がKさんの目を見つめ、口パクではっきりとこう言ったのを。
『み、つ、け、た』
第5章:脱出と世界の真実
それから数日後。
再びKさんは検査のため、MRIのような装置に入れられました。
身体を固定され、身動きが取れない状態のKさんの耳元に、誰かが近づいてきました。
あの笑い声。ゲラゲラ医者です。
彼は拘束されたKさんの耳元で、この世界に来て初めて聞く**「流暢な日本語」**でこう囁きました。
「ずっと、そこに」
直後、施設全体を揺るがす爆発音が轟きました。
警報音が鳴り響き、煙が充満します。混乱の中、誰かがKさんを担ぎ上げ、走り出しました。
口元にタオルを当てられ、煙の中を運ばれていくKさん。建物の外に出ると、黒塗りのワゴン車が待機していました。
車内に押し込まれたKさんの隣には、あのゲラゲラ医者が座っていました。
彼はもう笑っていませんでした。
「もう大丈夫だよ。日本語、わかるね?」
医者は語り始めました。
彼もまた、かつてKさんと同じ世界からこの世界へ迷い込んだ「漂流者」だったのです。彼は元の世界へ戻ることを諦め、この世界の言語と知識を習得し、医師として潜伏していました。
医者が語った真実
- 異世界の正体: ここはKさんの世界と非常によく似た、しかし文明がわずかに進んだパラレルワールド。
- 住人の目的: この世界の政府や研究機関は、パラレルワールドの存在を既に証明しており、「あちら側の世界」へ干渉・侵攻しようとしている。Kさんはそのための貴重なサンプル(モルモット)だった。
- Kさんが追われる理由: マンションの中庭という「特異点」に触れてしまったことで、Kさんは世界間の鍵になってしまった。
「君を元の世界に帰す。その代わり、二度とあの場所には近づくな」
車は猛スピードで走り、例のマンションへと到着しました。
しかし、そこには衝撃的な光景が待っていました。
マンションのKさんの部屋から、**「Kさんそっくりの男」**が出てきたのです。
「あれは……俺?」
「この世界の『君』だ。入れ替わりで君があっちに行ったわけじゃなく、弾き出された君が余剰分子として存在していたんだ」
医者と協力者たちは、その「もう一人のK」を取り押さえ、無理やり部屋の外へ引きずり出しました。
「今だ! 中庭へ走れ! 来た時と同じことをするんだ!」
Kさんは無我夢中で部屋に飛び込み、中庭へと通じるドアを開け放ちました。
コンクリートの空間。あの独特の浮遊感。
後ろからは怒号と足音が聞こえます。
Kさんは中庭に転がり込み、渾身の力でドアを閉めました。
グワンッ!!
世界が裏返る感覚。あの時と同じ、強烈な回転と、視界を染める赤黒い闇。
Kさんの意識はそこで完全に途絶えました。
終章:4ヶ月の空白と残された謎
肌を刺すような冷気で、Kさんは目を覚ましました。
そこは、見慣れた殺風景な中庭でした。
恐る恐る空を見上げます。
そこにあったのは、毒々しいコバルトブルーではなく、冬の訪れを感じさせる薄曇りの空でした。
「帰って……きたのか?」
ふらつく足で立ち上がり、部屋に入ろうとしましたが、窓には鍵がかかっていました。
必死に叩き、叫び続け、ようやく上の階の住人が気づいてくれました。
保護されたKさんは、驚愕の事実を知らされます。
彼が中庭から消えたのは10月。しかし、現在の日付は翌年の2月。
彼は4ヶ月間も行方不明になっていたのです。
発見されたKさんの体は、骨と皮だけの重度の栄養失調状態でした。
警察や家族には「記憶喪失」ということで処理されましたが、Kさんの携帯電話には、あの白い部屋で震える指で入力した「言葉がわかりません」という未送信メールが残っていました。
考察:都市伝説としての検証
この話の最も不気味な点は、「ゲラゲラ医者」の正体です。
彼はなぜ元の世界に帰らなかったのでしょうか?
「あちらの世界は文明が少し進んでいる」と彼は言いました。もしかすると、彼は自らの意思でパラレルワールドに残り、二つの世界をつなぐ(あるいは断絶させる)監視者としての役割を選んだのかもしれません。
そして、京都には実際に「回」の字型をしたマンションが存在します。
もしあなたが、どこかの建物の中庭に入って「妙な目眩」を感じたら、すぐに引き返してください。
そこは、世界が書き換わる入り口かもしれません。

