パークじゃなかった。Epcotに隠されたウォルト最後の夢「幻の未来都市計画」の全貌 Epcot’s Secret Origin

フロリダの広大な空の下、ひときわ異彩を放つ巨大な銀色の球体。その周りには、世界各国の美しい街並みが広がり、人々は未来の技術に胸を躍らせ、異国の文化に触れて乾杯する。ここは、ウォルト・ディズニー・ワールドに存在する4つのテーマパークの一つ、「Epcot」。多くの人にとって、Epcotは「大人向けのディズニーパーク」や「常設の万国博覧会」といったイメージかもしれません。

しかし、その名前の本当の意味を知る人は、意外と少ないのではないでしょうか。

E.P.C.O.T.
それは、Experimental Prototype Community oTomorrow――「実験的未来都市のプロトタイプ」。

そう、Epcotは元々、テーマパークの名前ではありませんでした。それは、一人の天才がその生涯の最後に見た、あまりにも壮大で、そして実現することのなかった「本物の未来都市」の計画名だったのです。

もし、ウォルト・ディズニーがもう少し長く生きていたら、私たちが知るEpcotは存在しなかったかもしれません。代わりにそこには、約2万人が実際に暮らし、働き、常に進化を続ける、生きた未来都市が誕生していたはずでした。

この記事では、テーマパークというベールに隠された、ウォルト・ディズニー最後の夢、「幻の未来都市計画」の全貌を紐解いていきます。私たちが今立っているその場所で、ウォルトが本当に創りたかった世界の姿とは、一体どのようなものだったのでしょうか。

第1章:ウォルトの苦悩と「フロリダ・プロジェクト」の誕生

物語は1960年代、カリフォルニア州アナハイムから始まります。1955年に開園したディズニーランドは、前例のない成功を収め、世界中から人々が押し寄せる「地球上で最も幸せな場所」となっていました。しかし、その輝かしい成功の影で、生みの親であるウォルト・ディズニーは深い苦悩と苛立ちを抱えていました。

彼の悩みは、パークの「外」にありました。

ディズニーランドの城壁の外には、ウォルトがコントロールできない世界が急速に広がっていたのです。成功にあやかろうとする人々が、安っぽいモーテル、派手な看板のレストラン、質の低い土産物屋を次々と建設。美しいアプローチであるはずのハーバー・ブルバードは、雑多で統一感のない商業ストリートへと成り下がり、ウォルトがこだわり抜いて創り上げた「魔法の王国」の雰囲気を入り口で台無しにしていました。

ウォルトは後に、この時の心境をこう語っています。

「我々は、カリフォルニアで何かを学んだ。我々は沼地を買い、そこに何かを建てた。そして世界中の人々がやってきた。だが、我々の周りには、我々が苦労して築き上げたものを利用するだけの連中が群がってきたんだ。彼らは土地の価値を吊り上げ、そこには我々が望まないようなものが建ち並んでしまった」

彼にとって、テーマパークは単なるアトラクションの集合体ではありませんでした。ゲートをくぐった瞬間から、ゲストを日常から完全に切り離し、物語の世界に没入させるための「完璧な舞台装置」でした。その舞台装置が、外部の要因によって損なわれることは、彼にとって耐え難い屈辱だったのです。

この苦い経験から、ウォルトは一つの確信を得ます。「次のプロジェクトでは、絶対に環境をコントロールしなければならない。そのためには、圧倒的な『土地』が必要だ」。

こうして、歴史上最も野心的な民間プロジェクトの一つ、「フロリダ・プロジェクト」の幕が上がります。

ターゲットは、広大で安価な土地が手に入るフロリダ州中央部。しかし、ウォルト・ディズニーの名前が表に出れば、土地の価格は瞬く間に高騰し、計画は頓挫してしまいます。そこで、まるでスパイ映画のような、極秘の土地買収作戦が開始されました。

ウォルトは、彼の右腕である弁護士や不動産の専門家たちと共に、いくつものダミー会社を設立します。「サン・マーティン・インベストメント」「ラテン・アメリカン・デベロップメント」「アヨット・ロシェ・アンド・プライス」。これらはすべて、ディズニー社の存在を隠すためのカモフラージュでした。エージェントたちは、農家や地主たちを個別に訪問し、自分たちは東海岸の富豪や航空宇宙産業の投資家の代理人であると偽り、少しずつ、しかし着実に土地を買い進めていきました。

そのオペレーションは徹底していました。エージェントたちは決して同じレストランで食事をせず、違うホテルに宿泊し、地元での噂話を避けるために細心の注意を払いました。数年にわたる慎重な買収劇の末、ディズニー社は、フロリダ州オーランド近郊に、約110平方キロメートルという途方もない広さの土地を手に入れます。これは、サンフランシスコ市全体、あるいはマンハッタン島の2倍以上に相当する面積でした。

ようやく土地の大部分を確保した1965年、地元紙の記者が一連の不審な土地取引の背後にいるのがディズニー社ではないかと嗅ぎつけ、ついに「フロリダ・プロジェクト」の存在が公になります。

世界中が「第二のディズニーランド」の誕生に沸き立つ中、ウォルトの頭の中には、誰も想像すらしなかった、もっと壮大な計画が存在していました。この広大な土地は、単に新しいテーマパークを建てるためだけのものではなかったのです。それは、彼の人生の集大成となる、ある壮大な「実験」のためのキャンバスでした。

第2章:EPCOTシティ構想 – ウォルトが描いた未来の青写真

1966年10月27日。ウォルト・ディズニーは、自らが「フロリダ・フィルム」と呼ぶ、約25分間のプレゼンテーション映像の撮影に臨みました。彼の背後には、フロリダの広大な土地の地図が掲げられています。これが、彼が自らの言葉で、EPCOTシティの構想を世界に語った、最初で最後の機会となりました。この時、彼の身体はすでに病魔に蝕まれていましたが、その瞳は未来への確信と情熱に満ち溢れていました。

映像の中で、ウォルトは熱っぽく語り始めます。

「今日、アメリカの都市が抱える問題は、我々全員に関わる深刻な問題だ。交通渋滞、スラム街、そして生活環境の欠如…。我々は、これらの問題に対する解決策があると信じている。そしてその信念に基づき、フロリダの土地の中心に、未来の都市のプロトタイプを建設する」

彼が発表した「EPCOTシティ」は、テーマパークでもなければ、単なる住宅地でもありませんでした。それは、人類の暮らしをより良くするためのアイデアを試し、実践し、世界に示すための**「生きた実験場」**だったのです。そのコンセプトは、あまりにも革新的で、今なお私たちを驚かせます。

コンセプト1:常に進化する「生きた都市」

EPCOTシティは、完成したら終わり、という静的な都市ではありませんでした。ウォルトが最も嫌ったのは「陳腐化」でした。彼は、都市が常に最新であり続けるための仕組みを設計しました。

  • 住民は「賃貸」: この都市に住む約2万人の住民は、土地や家を所有することができません。全員がディズニー社と賃貸契約を結びます。これは、都市計画の自由度を確保するための重要な仕掛けでした。もし、あるエリアの家が古くなったり、新しい技術が登場したりした場合、ディズニー社は住民に代替の住居を提供し、そのエリアを再開発することができます。これにより、都市は常に時代の最先端を走り続けることができるのです。
  • アメリカ産業のショーケース: EPCOTシティは、アメリカを代表する大企業にとって、最高の実験場となる計画でした。ゼネラル・エレクトリック社は最新の電化システムや家電製品を、RCA社は新しいコミュニケーション技術を、GM社は未来の交通システムを、この都市で実際に導入し、住民の生活の中でテストするのです。住民は、発売前の製品を試すことができ、企業はそのフィードバックを元に製品を改良する。産業界と住民が一体となって未来を創り出す、壮大な産学協同ならぬ「産住協同」のビジョンでした。

コンセプト2:合理性を極めた放射状の都市デザイン

EPCOTシティの設計は、機能性と美しさを両立させた、見事なものでした。都市は、中心から外側に向かって、同心円状に広がる放射状のデザインを採用していました。

  1. 中心部:商業・娯楽ハブ
    都市の心臓部には、高さ30階建てのホテルとコンベンションセンターがそびえ立ちます。そして、その周辺の商業エリア全体が、巨大な**「天候制御ドーム」**で覆われる計画でした。このドームの中は、一年中、雨も風も、フロリダの厳しい暑さも関係ない、完璧にコントロールされた快適な環境が保たれます。人々は傘もコートも必要とせず、軽装でショッピングや食事、エンターテイメントを楽しむことができるのです。まさにSF映画の世界そのものでした。
  2. 第二層:高密度住宅エリア
    商業ハブのすぐ外側には、高層アパートメントが配置されます。ここに住む人々は、職場や商業施設へ、歩いて、あるいは後述する「ピープルムーバー」で数分でアクセスできます。職住近接を極めた、効率的なライフスタイルです。
  3. 第三層:広大なグリーンベルト
    都市の喧騒と住宅地を隔てるように、広大な緑地帯が広がります。ここには公園、学校、教会、そして様々なレクリエーション施設が設けられます。住民たちが自然と触れ合い、コミュニティ活動を行うための、安らぎの空間です。
  4. 最外層:低密度住宅地
    グリーンベルトの外側には、一戸建てのような低層住宅が並ぶエリアが広がります。庭付きの家に住みたいと願う家族向けのエリアです。ここに住む人々も、自家用車を使うことなく、公共交通機関でスムーズに都市の中心部へ向かうことができます。

コンセプト3:車社会からの脱却を目指す交通革命

ウォルトが最も力を注いだのが、交通システムでした。彼は、アメリカの都市を蝕む最大の元凶である「自動車」を、都市の中心部から徹底的に排除しようと考えました。

  • 地上の主役は「モノレール」と「ピープルムーバー」:
    EPCOTシティの主要な公共交通機関は、2種類ありました。一つは、都市全体を高速で結ぶ**「モノレール」。これは、ウォルト・ディズニー・ワールドの入り口とテーマパーク、そしてEPCOTシティの中心部を結ぶ大動脈です。もう一つが、より低速で、都市内部の細かい移動を担う「ウェドウェイ・ピープルムーバー」**。これは、ディズニーランドで既に実験的に導入されていたシステムで、常にゆっくりと動き続ける乗り物に乗ることで、短い距離を手軽に移動できます。高層アパートの住人は、自宅のすぐそばの乗り場からピープルムーバーに乗れば、雨に濡れることなく職場やショッピングセンターに到着できるのです。
  • 地下に隠された動脈「ユーティリドー」:
    では、物資の輸送やゴミ収集、緊急車両はどうするのか?その答えは「地下」にありました。EPCOTシティの地下には、**「ユーティリドー(Utility Corridor)」**と呼ばれる多層構造のトンネル網が張り巡らされる計画でした。上層階はトラックなどの業務用車両が走り、下層階には電気、水道、通信、廃棄物処理などのインフラが収められます。これにより、地上の景観は商業用のトラックやゴミ収集車によって損なわれることがなく、歩行者の安全も完全に確保されます。この画期的なアイデアは、後にマジックキングダムの地下で一部が実現し、今もパークの運営を支える心臓部として機能しています。

この「フロリダ・フィルム」で語られたEPCOTシティは、まさにウォルト・ディズニーという一人の天才のビジョンの集大成でした。それは、テクノロジーへの揺るぎない信頼、効率性と合理性の追求、そして何よりも「人々はもっと良い環境で暮らせるはずだ」というヒューマニズムに貫かれた、未来への青写真だったのです。

しかし、運命は、この壮大な夢に時間を与えませんでした。この映像を撮影してから、わずか2ヶ月後のことでした。

第3章:夢の終わりと遺志の継承 – なぜ未来都市は建設されなかったのか?

1966年12月15日。ウォルト・ディズニーは、肺がんとの闘病の末、65歳でこの世を去りました。

彼の死は、ディズニー社にとって、そしてフロリダ・プロジェクトにとって、あまりにも大きな損失でした。太陽を失った惑星のように、プロジェクトは進むべき方向を見失い、巨大な混乱と悲しみに包まれました。特に、EPCOTシティ構想は、その最大の推進者であり、唯一の理解者であったウォルトを失ったことで、存続の危機に立たされます。

なぜ、あれほどウォルトが情熱を注いだ未来都市は、建設されなかったのでしょうか。理由は、一つではありませんでした。

最大の壁:リーダーシップの不在

EPCOTシティは、ウォルト・ディズニーという稀代のビジョナリーの頭の中にしか、その完全な姿は存在しませんでした。彼は、都市の哲学から、交通システムの配線、建物のデザインの細部に至るまで、全てを把握していました。残された役員やエンジニアたちは、彼の構想の断片は理解できても、それらを統合し、前例のない巨大プロジェクトを率いていくカリスマ性と決断力を持ち合わせていませんでした。「ウォルトならどうするだろう?」誰もがそう思いましたが、その問いに答えられる人間は、もはやどこにもいなかったのです。

現実的な壁:経営リスクと法的問題

冷静に考えれば、一民間企業が「都市」を運営することのリスクは計り知れません。
テーマパークを運営するのとは訳が違います。警察、消防、教育、医療、ゴミ処理、インフラ管理といった、本来は行政が担うべき機能をすべて自社で提供しなければなりません。住民との間でトラブルが起きた場合、それは単なる顧客との問題ではなく、市長と市民の関係に近いものになります。

さらに、「住民は土地を所有できない」というEPCOTシティの根幹をなすルールは、アメリカ人の価値観や法律と衝突する可能性がありました。自由と所有権を重んじる国で、このような管理社会的なコミュニティが本当に受け入れられるのか。もし失敗すれば、ディズニーというブランドが被るダメージは計り知れません。役員たちが、この壮大すぎる夢の実現に二の足を踏んだのも、無理はなかったのです。

兄の遺志を継いだ男:ロイ・O・ディズニーの決断

ウォルトの死後、引退していた彼の兄、ロイ・O・ディズニーが経営の第一線に復帰します。彼は天才的なクリエイターである弟を、生涯にわたって財務面から支え続けてきた実務家でした。ロイは、弟が遺したフロリダ・プロジェクトを必ず成功させると誓います。

しかし、彼は現実を見ていました。今のディズニー社に、EPCOTシティを建設する力はない。もし無理に進めれば、会社全体が共倒れになりかねない。

ロイは、苦渋の決断を下します。まず、より現実的で、成功の確度が高いプロジェクト、つまり「第二のディズニーランド」であるマジックキングダム・パークの建設を最優先に進めることにしたのです。そして、彼はこの新しいリゾート全体の名前を、単なる「ディズニーワールド」ではなく、**「ウォルト・ディズニー・ワールド」**と命名しました。それは、「この壮大なプロジェクトは、すべて弟ウォルトの発想から始まったのだ」ということを、世界に永遠に知らしめるための、兄から弟への最大の敬意でした。

EPCOTシティ構想は、こうして事実上、凍結されました。ウォルトの夢は、幻と消えたかに見えました。しかし、ディズニー社の心ある人々(イマジニアたち)は、諦めていませんでした。「ウォルトの最後の夢を、このまま葬り去ってはいけない。完全な形でなくとも、彼の『理念』だけでも形にすることはできないだろうか?」

この想いが、やがてEPCOTシティ構想を、全く新しい形のプロジェクトへと昇華させていくことになるのです。

第4章:テーマパーク「EPCOTセンター」の誕生 – 夢のかけらの集大成

ウォルトの死から10年以上が経過した1970年代後半。ディズニー社は、ついにEPCOTの理念を復活させる決断をします。しかしそれは、もはや「未来都市を建設する」という計画ではありませんでした。

コンセプトは、**「未来と世界の理念を“体験する”テーマパーク」**へと、大きく舵を切ったのです。ウォルトが夢見た都市の2つの大きな柱、「未来のテクノロジー」と「国際的な文化交流」を抽出し、それぞれをテーマにした2つのエリアを持つ、全く新しい形のパークを創り上げることになりました。

1982年10月1日、ついに「EPCOTセンター」が開園します。その姿は、ウォルトの未来都市とは全く異なるものでしたが、その魂は確かに受け継がれていました。

フューチャー・ワールド:未来への希望を探求する場所

パークのエントランスを抜けると広がるのが、「フューチャー・ワールド」でした。ここは、ウォルトが構想した「アメリカ産業のショーケース」という思想を色濃く反映したエリアです。コミュニケーション、エネルギー、交通、農業、イマジネーションといった人類の未来に不可欠なテーマごとにパビリオンが建てられ、その多くをアメリカの大企業がスポンサーとして支援しました。

  • スペースシップ・アース (Spaceship Earth): パークの象徴である巨大な球体。通信会社AT&Tがスポンサーとなり、人類のコミュニケーションの歴史を壮大なスケールで描くアトラクションでした。洞窟の壁画から、印刷技術の発明、そして電話やコンピュータの登場まで、まさにウォルトが信じた「進歩」の物語そのものでした。
  • ユニバース・オブ・エナジー (Universe of Energy): 石油会社エクソンが提供。恐竜時代にタイムスリップし、化石燃料の成り立ちから未来のエネルギー源までを学ぶ、壮大なスケールのアトラクション。巨大なライドがシアター内を移動する様は、当時の技術の粋を集めたものでした。
  • ワールド・オブ・モーション (World of Motion): 自動車メーカーGMがスポンサー。人類と「移動」の歴史を、ユーモラスなオーディオアニマトロニクスで描き出しました。最後には、GMが夢見る未来のコンセプトカーが展示され、ウォルトの交通革命の夢の断片がそこにありました。

これらのパビリオンは、単なる絶叫マシンではありませんでした。楽しみながら学び、未来への希望を感じさせる**「エデュテインメント(Education + Entertainment)」**という、Epcot独自の概念を確立したのです。それは、ウォルトが常に大切にしていた「人々を楽しませるだけでなく、何か有益なものを与えたい」という哲学の、見事な継承でした。

ワールド・ショーケース:世界の多様性を讃える場所

フューチャー・ワールドの奥、大きなラグーン(湖)を囲むように広がるのが、「ワールド・ショーケース」です。これは、ウォルトが構想した都市の国際交流エリアの思想を、「常設の万国博覧会」という形で実現したものでした。

メキシコ、ノルウェー、中国、ドイツ、イタリア、アメリカ、日本、モロッコ、フランス、イギリス、カナダ。11カ国のパビリオンが、それぞれの国の文化を象徴する美しい建築で再現されています。ゲストは、一日で世界一周旅行をするかのように、各国の文化、歴史、食事、そしてそこに働く人々との交流を楽しむことができます。

  • 日本の五重塔や城を模したパビリオンでは、三越百貨店が店を構え、本物の日本文化を伝えます。
  • ドイツの広場では、陽気な音楽と共にビールとソーセージを楽しむことができます。
  • モロッコ館の迷路のような路地は、モロッコ国王が派遣した職人たちが手作業で作り上げた本物です。

このワールド・ショーケースが目指したのは、単なる観光地の再現ではありません。異文化に触れ、その美しさや違いを理解し、尊重することで、世界の人々の間に相互理解の橋を架けること。それは、二つの世界大戦を経験し、世界平和を願っていたウォルトの思想そのものでした。

こうして誕生したEPCOTセンターは、ウォルトが夢見た「生きた都市」ではありませんでした。しかし、そこには彼の夢のかけらが散りばめられていました。未来への飽くなき探求心、イノベーションへの信頼、そして世界の人々が手を取り合うことへの願い。それは、形を変えた、もう一つの「未来のコミュニティ」だったのです。

第5章:現代へ続くEpcotの進化 – ウォルトのDNAは生きているか?

開園から40年以上が経過し、Epcotは新たな挑戦の時代を迎えています。ウォルトが最も恐れた「陳腐化」の波は、皮肉にも彼自身の夢の結晶であるEpcotにも押し寄せてきました。

フューチャー・ワールドが描いた「未来」は、やがて「少し昔の人が考えた未来」になっていきました。スポンサーだった大企業も、経営方針の転換などで次々と撤退。パークは、そのアイデンティティをどこに置くべきか、という大きな岐路に立たされます。

その答えの一つが、ディズニーキャラクターと物語の導入でした。

当初、Epcot、特にフューチャー・ワールドは、ミッキーマウスのようなキャラクターを極力排除し、知的な雰囲気を保っていました。しかし、より幅広い世代、特に子供たちにも魅力を感じてもらうため、ディズニーは方針を転換します。

  • 「ザ・リビング・シー」パビリオンには、映画『ファインディング・ニモ』の世界が広がり、子供たちの歓声が響くようになりました。
  • ノルウェー館には、世界的大ヒットとなった映画『アナと雪の女王』のアトラクションが誕生し、長蛇の列ができました。
  • フランス館には、映画『レミーのおいしいレストラン』をテーマにしたエリアとライドが登場。
  • そして、かつてエネルギー館があった場所には、マーベル映画『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』の革新的なローラーコースターが建設されました。

この変化は、古くからのEpcotファンに、大きな議論を巻き起こしました。「Epcotの教育的な側面が失われ、ただのテーマパークになってしまう」という批判の声。一方で、「時代に合わせて進化しなければ、パークは生き残れない。物語の力でテーマを伝えるのは、ディズニーの得意とするところだ」という肯定的な意見。

この賛否両論こそ、Epcotが今もなお「実験的」な場所であることの証かもしれません。

そして現在、Epcotは開園以来最大規模となるリニューアルの真っ只中にあります。かつてのフューチャー・ワールドは解体・再編され、**「ワールド・セレブレーション」「ワールド・ディスカバリー」「ワールド・ネイチャー」**という3つの新しい「ネイバーフッド(近隣地区)」に生まれ変わりました。

この変化は、ウォルトのオリジナルのビジョンからの離脱に見えるでしょうか?
いいえ、見方を変えれば、これはウォルトのDNAを現代的に再解釈する試みとも言えます。

  • ワールド・ディスカバリー(World Discovery): 科学、技術、宇宙への冒険がテーマ。これはウォルトが愛した「イノベーションと探求心」そのものです。
  • ワールド・ネイチャー(World Nature): 地球という惑星の美しさと、自然との共存を学ぶエリア。ウォルトの都市計画にも、広大なグリーンベルトは不可欠な要素でした。
  • ワールド・セレブレーション(World Celebration): 人々の繋がりと祝祭をテーマにした、パークの新たなハブ。そして、ラグーンの向こうに広がる**ワールド・ショーケース(World Showcase)**は、今も変わらず、世界の文化が繋がる場所であり続けています。

形は大きく変わりました。キャラクターも増えました。しかし、Epcotの根底に流れる精神は、今もウォルト・ディズニーの夢と繋がっているのではないでしょうか。

「常に未完成であり、常に新しいアイデアと技術を取り入れ、進化し続けるコミュニティ」

ウォルトが夢見たこの精神を、Epcotはテーマパークという形で、今も体現し続けているのです。

まとめ:幻の都市に思いを馳せて

次にあなたがEpcotを訪れる機会があったら、少しだけ視点を変えてみてください。

パークの象徴であるスペースシップ・アースを見上げたとき、それがウォルトが夢見た天候制御ドームの中心にそびえるはずだったホテルの面影かもしれない、と想像してみてください。

ワールド・ショーケースのラグーンを眺めながら、ここが未来都市の住民たちの憩いの場となるグリーンベルトだったかもしれない、と思いを馳せてみてください。

そして、モノレールやピープルムーバー(マジックキングダムのトゥモローランドで体験できます)に乗ったとき、これが自動車に代わるクリーンな交通システムとして、都市の動脈となるはずだったのだと感じてみてください。

ウォルト・ディズニーが最後に見た夢、「EPCOTシティ」は幻に終わりました。しかし、彼の「より良い未来を創りたい」という燃えるような情熱は、決して消え去ってはいません。それは、テーマパーク「Epcot」の中に、夢のかけらとして、今も無数に散りばめられ、訪れる私たちに静かに語りかけているのです。

Epcotは、ただのテーマパークではない。それは、一人の天才が遺した、未来への壮大なラブレターなのです。

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