第三章:交わる運命と船上の邂逅
大気圏を抜け、わずかな振動とともにシルヴェリア号は水平飛行へ移行した。船体内の警報音が次々と消え、代わりに疲労の色を帯びたクルーたちの安堵のため息が空気を満たしていく。町を襲っていた傭兵の追撃は、今のところ見られない。とはいえ、ひとたび目を付けられたら油断ならない相手だ。
「ふぅ、どうにか離陸は成功したわね……。皆さんご無事?」 操縦席のコンソール前に立つソフィア・ユゼフィアが、金色の瞳を伏せて振り返る。
リュカは壁に背を預け、浅い呼吸を繰り返していた。ほんの数分で状況が激変したせいで、頭が追いつかないまま心拍だけが早鐘を打つ。ガルガスはそんな彼を気遣うように肩を貸しつつ、船内を見渡した。
「俺は平気だが、こいつは初めての空戦とあってだいぶ堪えてるみたいだ。ま、少し休ませてやってくれ」
「す、すみません……大丈夫です。少し疲れただけなので」
礼を言いながら、リュカはクロノス・ブレードを手放さぬようしっかり抱えていた。ソフィアはその剣にちらりと目をやり、ゆっくりと息をつく。
「あなたの持つその剣、“クロノス・ブレード”という名で呼ばれているの。詳しい由来はまだ分かっていないけれど……複数の世界を結びつける鍵の一つだって、私たちの調査でわかったわ」
不意を突かれたリュカは、むしろガルガスのほうを見上げる。ガルガスも渋い顔で腕を組んだ。
「なるほど、やっぱりそういう類か。だから連中は、あれだけ大がかりに追ってきてるわけだ」
ソフィアによれば、ある組織が長年にわたり“クロノス・ブレード”を含む未知のアーティファクトを探索し、闇ルートで奪おうとしているらしい。ソフィアの仲間がそれを察知し、今回の襲撃情報を事前にキャッチしたため、急ぎシルヴェリア号でオルメアに向かったのだという。
「助けてくれてありがとう。俺が剣を見つけたばかりに、町のみんなまで危険に巻き込んじゃって……」
リュカは申し訳なさそうに頭を下げた。ソフィアは微笑を浮かべて首を振る。
「あなたのせいじゃないわ。私たちもオルメアがこんな形で襲われるとは思わなかった。それに……あの剣は世界の行く末に大きく関わっているはず。今はあなたが持っていてよかったと思うの」
その言葉にリュカは複雑な気分になる。町を守りきれなかった罪悪感と、未知なる力を宿した剣を手にした戸惑いが胸を交錯する。そんなリュカを見ていたガルガスが、大きなため息をつきながらソフィアに問いかけた。
「で、アンタらはこれからどうする? 町に戻るわけにもいかないが、ずっとこの空にいても狙われやすいだろう」
ソフィアは控えていたクルーに一瞥を送る。するとクルーの一人がパネル操作を終えたようで、情報端末を携えて近づいてきた。
「いくつかの星系データを確認しました。最寄りの小型ゲートスペース“ラディウス・ステーション”なら安全に身を隠す可能性があります。そこに避難した後、別の次元ゲートへのアクセスを試みるのがいいかと」
「ラディウス・ステーション……。あそこなら民間船の出入りも少なくないし、査察もゆるめだ。隠れるにはうってつけだろう」
ガルガスがそう呟くと、ソフィアも頷く。リュカはやはり“次元ゲート”という単語に戸惑いを覚えながらも、話の流れを把握した。もともと辺境コロニーから出たことのないリュカにとっては、そんな施設の存在すら未知の領域だ。
「もし可能なら、すぐにステーションへ向かいましょう。あそこでは私たちの仲間とも合流できるはず。クロノス・ブレードの情報をもっと正確に伝えられる……かもしれないわ」
ソフィアの言葉に、リュカは不意に抱えていた疑問を吐き出す。
「その……そもそもクロノス・ブレードって、何なんでしょう? どうして俺にこんな力を……?」
答えはすぐには返ってこない。ソフィアもどこか言葉を探すように視線を下ろし、かすかな自嘲の笑みを浮かべた。
「正直、私も全貌は知らない。けれどこれは、たったひとつの世界だけじゃなく、多元的な宇宙構造──マルチバース全体にも関わる話だと聞いているわ」
“マルチバース”という響きにリュカは疑問を深める。町に伝わる噂程度なら聞いたことがあるが、実感としては遠い話だ。そんな彼に向けてソフィアが言葉を継ぐ。
「私が身を置いている組織……いえ“協会”のようなものだけど、そこではアカシックネットワークという概念を研究しているの。すべての平行世界、すべての時空に存在する情報の膨大な集積……。それに干渉する鍵のひとつがクロノス・ブレードだって言われているの」
アカシックネットワーク――全生命と世界の記録を内包する伝説めいた存在。リュカは確かに耳にした覚えがある。彼を夢の中で呼ぶ少女が、そんな神秘と何かしら関係しているのだろうか。
「わけがわからないよ……でも、不思議と否定できない。俺、ずっと夢で“剣”を探せって言われてたんだ。あの剣こそ運命だって……」
リュカの言葉に、ソフィアは短く息をのむ。まるで確信に触れたような表情だが、詳しいことは話せない──あるいはまだ話す段階にないのかもしれない。
ガルガスが合いの手を入れるように、硬くなった空気を和らげる。
「そいつがどういうモノであれ、今はこの船で危機を逃れるのが先決だ。次元ゲートを使うってなら、早めに準備してくれ。連中が追ってくるかもしれないしな」
「ええ、そうね。……シルヴェリア号、ラディウス・ステーションへ向けてコース設定を。最速ルートで飛ぶわ」
ソフィアがクルーたちへ指示を出すと、船内の照明がやや落ち着いたトーンに切り替わり、航行モードが自動演算へ移行した。船体が滑らかに旋回を始め、星々の散らばる宙域へ進んでいく。
リュカは船窓から見える漆黒の宙を見つめる。無数の星がある向こうには、未知なる世界が無限に広がっているのだという。心の奥底に湧き上がるのは、不安と一緒になった奇妙な昂揚感だった。
「俺は一体、どこまで行くことになるんだ……」
少年の呟きに、誰もはっきりとした答えを持ち合わせていない。クロノス・ブレードの輝きは依然として鈍く光るだけ。だが、それはまるで遠くで待ち受ける運命を示す灯火のようでもあった。
やがてシルヴェリア号は大気圏から完全に抜け出し、星の海を渡る航路へと乗る。時折、警戒モニターに反応が現れるが、相手が誰なのかはわからない。
スクリーンには追跡者らしき信号が点滅しているが、直ちに攻撃してくる気配は薄い。ある程度距離を置いて監視されているか、あるいは向こうも何らかの手段を模索しているのだろう。
「気を抜くな。すぐに加速してゲートポイントに入るぞ」
ガルガスがライフルを整備しながら言い、リュカもうなずく。ソフィアは自席に座り、強くスロットルを押し込みながら、視線だけはこちらへ向けた。
「リュカ、ガルガス……必ず私たちが力になるわ。だから、あなたも――」
ソフィアは言いかけて、言葉を飲み込む。彼女の瞳は、どこか不安を隠すように揺れていた。
シルヴェリア号は青白い推進炎を長く尾のように引きながら、静かに加速を始める。そこに映し出されるのは、一筋縄ではいかない未来の片鱗。少年が宿した“運命の剣”は、いずれ世界の真実を切り拓く鍵になるのか、それともさらなる混沌をもたらすのか。
その答えを知るのは、まだ誰でもない。
──外宇宙の片隅で、まだ知られざるマルチバースへの扉が、じわじわと開きつつあるのだから。