2018年、世界は偉大な頭脳を失いました。現代物理学の巨人、スティーブン・ホーキング博士の死は、世界中に衝撃と悲しみをもたらしました。
しかし、彼は私たちに大きな謎と希望を遺していきました。それは、私たちが生きているこの宇宙のさらに先、「パラレルワールド」の存在を示唆する理論です。
「別の宇宙に、もう一人の自分がいるかもしれない…」
SF小説のような話ですが、ホーキング博士は、晩年の研究において、この可能性を真剣に論じています。
天才物理学者が生涯をかけて探求した宇宙の謎を紐解きながら、彼が最後にたどり着いた境地、「無境界仮説」と「パラレルワールド」の世界へとご案内します。
ブラックホールから宇宙の始まりへ ― ホーキング博士の探求
スティーブン・ホーキング博士。彼の名は、難病ALSと闘いながら、ブラックホールの研究や宇宙の起源の解明に挑み続けた「車椅子の天才物理学者」として、世界中に知れ渡っています。21歳の若さでALSと診断され、余命数年と宣告されたにも関わらず、ホーキング博士は持ち前の才能と不屈の精神で、宇宙の謎に挑み続けました。彼は、宇宙物理学という難解な分野を一般の人々に広めた功績も大きく、1988年に出版された著書「ホーキング、宇宙を語る」は世界的なベストセラーとなり、40ヶ国語以上に翻訳されました。
ホーキング博士の研究の出発点は、「ブラックホール」でした。ブラックホールとは、極めて高密度かつ大質量であるために、光さえも脱出できない天体のこと。その奇妙な性質は、多くの科学者たちを魅了すると同時に、大きな謎となっていました。ホーキング博士は、量子力学というミクロの世界の物理法則をブラックホールというマクロな天体に適用することで、「ホーキング放射」と呼ばれる理論を提唱しました。これは、ブラックホールがエネルギーを放出し、最終的には蒸発してしまうという、それまでの常識を覆す画期的な発見でした。
しかし、ホーキング博士の探求心は、ブラックホールの謎にとどまりませんでした。彼は、ブラックホールの研究を通して、宇宙の始まり、そしてその先に広がる可能性へと目を向け始めたのです。宇宙はどのようにして誕生したのか?その起源や構造には、どんな秘密が隠されているのか?ホーキング博士は、ブラックホールという極限環境を理解することが、宇宙全体の謎を解き明かす鍵になると信じていました。彼の飽くなき探求心は、私たち人類を、宇宙の深淵へと誘う、壮大な知的冒険へと導いていくことになります。
無境界仮説 ― 宇宙に境界はあるのか?
宇宙はいつ、どのようにして始まったのか?」 このシンプルな問いは、人類にとって永遠の謎であり、同時に、科学者たちの探求心を最も強く掻き立てるテーマの一つと言えるでしょう。この究極の問いに挑むのが、「宇宙論」と呼ばれる分野です。20世紀初頭に提唱されたビッグバン理論は、宇宙は約138億年前、超高温・超高密度の状態から急激な膨張とともに始まったとするもので、現在では最も有力な宇宙創成論として受け入れられています。
しかし、ビッグバン理論にも、解決できない問題が残っていました。それは、「始まりの一点」における「特異点」の問題です。ビッグバン理論に従うと、宇宙の始まりには、密度と重力が無限大になる「特異点」が存在することになります。しかし、物理法則は、この特異点において破綻してしまい、計算不能な状態に陥ってしまうのです。
この難問に対し、ホーキング博士は、革新的なアイデアを提唱しました。それが、「無境界仮説」です。ホーキング博士は、時間と空間は、地球の表面のように有限だが境界を持たない閉じた曲面であると考えました。つまり、宇宙は、私たちがイメージするような、明確な「始まり」や「外側」を持たない、自己完結した存在であるというのです。
「無境界仮説」は、宇宙の始まりにおける特異点問題を回避できるだけでなく、宇宙の構造や進化に関する全く新しい視点を与えてくれます。もし、この仮説が正しければ、私たちが認識できる範囲の宇宙は、さらに巨大な構造の一部に過ぎず、その外側には、想像を絶する世界が広がっているのかもしれません。
永遠に膨張する宇宙 ― インフレーション理論とマルチバース
ビッグバン理論は、宇宙の始まりを説明する上で大きな進歩をもたらしましたが、いくつかの謎も残していました。例えば、宇宙のあらゆる方向から観測される宇宙マイクロ波背景放射が、驚くほど均一な温度であることや、宇宙が非常に平坦な構造をしていることは、ビッグバン理論だけでは説明が難しかったのです。
これらの謎を解決するために登場したのが、「インフレーション理論」です。この理論は、宇宙が誕生した直後の10のマイナス36乗秒から10のマイナス34乗秒というごく短い時間に、急激な加速膨張、すなわち「インフレーション」を起こしたと提唱します。インフレーションは、例えるなら、一瞬でピンポン玉が地球サイズまで膨らむような、想像を絶する速さで空間が膨張する現象です。
インフレーション理論は、宇宙の均一性や平坦性をうまく説明できるだけでなく、宇宙の構造形成にも重要な役割を果たしたと考えられています。インフレーション期に量子レベルで生じた微小な密度の揺らぎが、膨張とともに拡大し、銀河や銀河団といった宇宙の大規模構造の「種」になったと考えられているのです。
ホーキング博士は、このインフレーション理論をさらに発展させ、「永遠のインフレーション」という概念を提唱しました。これは、インフレーションが宇宙全体で一様に終わるのではなく、一部の領域でインフレーションが終了して私たちの宇宙のような空間が生まれる一方で、他の領域ではインフレーションが永遠に続いているというアイデアです。
永遠のインフレーション理論が正しければ、私たちの宇宙は、無数の「泡宇宙」からなる「マルチバース」の一部に過ぎない可能性があります。それぞれの泡宇宙は、異なる物理法則や次元を持つ可能性もあり、私たちが想像できる範囲を超えた、多様な世界が広がっているのかもしれません。
パラレルワールドへの招待状 ― ホーキング博士が残した最後のメッセージ
ホーキング博士は、生涯を通じて、宇宙の最も根源的な謎に挑戦し続けました。そして、彼の探求心は、晩年になっても衰えるどころか、ますます深まっていきました。それはまるで、宇宙の真理へと続く、果てしない道筋を、歩み続けようとするかのようでした。
彼が最後に私たちに残してくれたメッセージは、まさにその探求の集大成と言えるでしょう。2018年、ホーキング博士は、亡くなるわずか数週間前に、最後の論文「永遠のインフレーションからの滑らかな脱出?」を書き上げました。この論文で彼は、永遠のインフレーション理論に基づき、私たちの宇宙以外にも無数の宇宙が存在する可能性、すなわち「マルチバース」の可能性を改めて提示しました。
さらに重要なのは、ホーキング博士がこの論文の中で、マルチバースの存在を示唆する痕跡が、宇宙マイクロ波背景放射の中に観測できる可能性を指摘していることです。宇宙マイクロ波背景放射とは、ビッグバンから約38万年後に宇宙が晴れ上がり、光が自由に進めるようになった時から現在まで地球に届き続けている「宇宙最古の光」です。ホーキング博士は、この宇宙マイクロ波背景放射の中に、他の宇宙との衝突によって生じた特殊なパターンが残されている可能性を示唆しました。
もし、この理論が正しければ、私たちが住むこの宇宙は、広大なマルチバースの中の、ほんの一つの「泡」に過ぎないということになります。そして、そこには、私たちとは異なる物理法則や次元を持つ、想像を絶するほど多様な世界が広がっているのかもしれません。
ホーキング博士は、この最後のメッセージを通して、私たち人類に、宇宙の無限の可能性と、さらなる探求の道を示してくれたと言えるでしょう。
未完の探求 ― 私たちに残された課題
ホーキング博士は、私たち人類に、「宇宙はなぜ存在するのか?」「私たちはどこから来たのか?」といった、根源的な問いを改めて突きつけました。そして、彼自身はその答えを探し求める壮大な知的冒険を、生涯かけて続けました。しかし、宇宙の謎は深く、そして広大です。ホーキング博士が切り拓いた新しい宇宙観は、私たちにさらなる謎と探求への渇望をもたらしました。
彼の遺志を継ぎ、マルチバースの存在を証明するためには、乗り越えなければならない壁がいくつも存在します。まず、ホーキング博士が提唱した、宇宙マイクロ波背景放射に残された他の宇宙との衝突の痕跡を見つけるためには、より高精度な観測技術とデータ分析が必要です。現在、世界中の研究機関が、宇宙マイクロ波背景放射の観測プロジェクトを進めており、今後、新たな発見がもたらされる可能性は十分にあります。
また、仮に他の宇宙の存在が確認されたとしても、それが私たち自身の宇宙とどのように異なるのか、どのような物理法則や次元が存在するのかを理解するのは、さらに困難な課題となるでしょう。しかし、それは同時に、私たち人類の知性を試す、最高の舞台とも言えるのではないでしょうか。
ホーキング博士は、生前、人類が今後100年以内に宇宙に進出し、他の惑星に移住する必要があると繰り返し訴えていました。彼は、地球の資源には限りがあり、人類が生き残るためには、宇宙へと進出する以外に道はないと考えていたのです。
彼のこのメッセージは、マルチバースの探求とも深く関わっています。もし、私たちが他の宇宙の存在を証明し、その謎を解き明かすことができれば、それは、私たち自身の宇宙、そして私たち人類自身の存在意義を、より深く理解することに繋がるでしょう。ホーキング博士が残した未完の探求は、これからも、私たち人類の知的好奇心と探求心を、宇宙の果てへと駆り立てていくに違いありません。
ホーキング博士が私たちに問いかける10のメッセージ ― ビッグ・クエスチョン
ブラックホールの謎から、宇宙の起源、そしてパラレルワールドの可能性まで、ホーキング博士は、私たちを、想像をはるかに超えた世界へと導いてくれました。しかし、彼の探求心は、壮大な宇宙の謎にとどまらず、私たち人類自身の未来にも向けられていました。
ホーキング博士は、私たち人類が、今、岐路に立たされていることを深く憂慮していました。地球温暖化、核戦争の脅威、人工知能の進化…私たちは、自らの手で作り出した問題によって、自らの未来を脅かしているのかもしれません。
そんな私たちへの最後のメッセージとして、彼は、生前に書きためていたエッセイや論文をまとめた著書「ビッグ・クエスチョン 〈人類の難問〉に答えよう」を遺しました。
この本の中で、ホーキング博士は、「神は存在するのか?」「宇宙はどのように始まったのか?」といった、人類が長年問い続けてきた根源的な疑問から、「人工知能は人間より賢くなるのか?」「より良い未来のために何ができるのか?」といった、私たち人類の未来を左右する重要な問いまで、10個の「ビッグ・クエスチョン」に、彼自身の見解を示しています。
彼は、これらの「ビッグ・クエスチョン」について考えることが、私たち人類が、自らの未来をより良い方向へと導くための、重要な一歩となると信じていました。
「私は、本書に取り上げたビッグ・クエスチョンを考えると胸が躍るし、それらを探究することに情熱を傾けている。その興奮と情熱を、みなさんに伝えたい。私たちが向かう未来を、誰もが行きたいと思うような未来にするために、力を合わせようではないか。」― ホーキング博士のこの力強いメッセージは、私たち一人ひとりの心に深く響きます。
ホーキング博士が、生涯をかけて問い続けた「ビッグ・クエスチョン」― その答えを探す旅は、まだ始まったばかりです。